1990年代はバブル経済の崩壊とともに幕を開けました。後に「失われた10年」と呼ばれることになるこの日本経済全体をおそった長い不況のはじまりにより、製造業界各社が設備投資を抑制した影響で当社の業績も大きな打撃をうけ、1992年度、1993年度と二期連続で赤字を計上しました。
こうした苦境のさなか、1992年の大坪英夫副社長の社長昇格を機に、当社の新たな変革の時代がスタートしました。大坪社長は、「木枯らしが吹きすさむ中で、既に新しい芽は出ている。これをどうやってふくらませるか」と全社員に問いかけ、「我慢と挑戦」をキーワードに経営再建の陣頭指揮にあたりました。業績の厳しいなかにあっても、研究開発費および設備投資は高水準を維持する一方、製品別に企画、開発、生産、販売までの一貫した実行計画を策定し、実直に仕事に取り組みました。
そのころ、日本経済はまだバブル経済崩壊の後遺症で低迷していましたが、アメリカをはじめとする世界各国では比較的好景気が続き、半導体製造装置の旺盛な設備投資に後押しされ、当社業績も1994年度には再び回復しました。