歴史と提供価値 東京精密が日本経済とともに歩んできた歴史を紹介します。

1949→1961

日本の重工業を精密な技術で支える。

当時の日本は重工業を中心に高度成長へ向かって歩み始めたばかり。自動車をはじめとした多くの産業が製品・技術の開発に取り組み、精密部品や計測機器の需要が拡大。切削工具を生産する町工場に端を発した「東京精密」(※)は、高度な技術者を招聘し、精密部品・計測機器などを提供。精密計測機器メーカーとしての地位を確固たるものにした。また、独自の技術開発により半導体製造装置メーカーへと躍進。世界の市場に躍り出た。

※当時の社名は「東京精密工具」

1962→1970

「測る技術」が、高度成長の礎に。

高度成長の波に乗って、日本の工業界は、大量生産化、自動化、高精密化の傾向にあった。製品の性能向上のためには部品の形状誤差の管理が重要課題であり、「測れないものは作れない」という東京精密の思想が高度成長の基盤となる。一方、半導体事業では日本で初めてのスライシングマシンを開発するなど、半導体の軽量化・小型化・高品質化の需要に応える。カラーテレビや電卓などの新しい機器の開発に貢献した。さらに、半導体の素材がゲルマニウムからシリコンへと移行したことに対しても迅速な対応を見せ、集積回路・トランジスタ・ダイオードなどの特性を多数の触針で測定するプロービングマシンを開発。VHS式VTR、ワープロ、ヘッドホンステレオなどの画期的な電子機器の登場を支えた。

1971→1985

不況下の技術開発・設備投資で、成長軌道に。

日本経済に大きな打撃を与えた1973年の第一次石油ショック。当時、日本の産業構造は重厚長大産業からハイテク産業へと大きく変化しつつあった。業績が苦しい状況であっても、東京精密は市場が期待する独自の新製品の開発を進めることが使命と考え、開発をゆるめることなく続けた。その姿勢が国内競合メーカーの追随を許さず、スライシングマシンの当時の世界シェアは80%となり世界トップメーカーの地位を確立。80年代の好況を迎えると、不況期の経営判断が実を結び、生産施設の拡大とともに、新製品の開発や技術開発が活発になっていった。

1986→2000

安定的な基盤を確保し、未来を見据えた挑戦を。

1986年に東京証券取引所市場第一部上場を果たした東京精密。シリコンサイクルや景気の変動に左右される市場においても安定的な経営基盤を確保する中でメカトロニクス技術に加えて、光技術、ソフト開発技術など技術力の蓄積に努める。また、「グループリーダー制」を採用することで、製品の企画段階から製品化までをスピードアップ。世界一の製品を開発する現在の体制の礎を築いた。研究開発費と設備投資は高水準を維持し、その後「スライシングマシン」「プロービングマシン」「ダイシングマシン」に集中投資し、大ヒット製品を生むことにつながった。
現在、東京精密の技術開発において規範となっている「製品開発の原則」が設定されたのが1997年。CMP装置やポリッシュ・グラインダの開発など将来を見据えた事業の再構築が行われた。また海外拠点の整備も積極的に取り組み、世界一の製品を世界に届ける基盤がつくられた。

 
「製品開発の原則」
  • 1. 世界No.1の製品を創ること、マーケットシェアNo.1の商品は
    (a) 好況時の利益の極大化をはかれる
    (b) 不況時の損失の極小化をはかれる
  • 2. 研究開発投資は自己資金で
  • 3. 技術参入障壁が高く、マーケットが大きくニーズも高い分野を狙う
  • 4. 相応しいパートナーを見つけ、開発コストをシェアするとともに開発の成果を共有する
2001→2005

ともに世界一を創造していく。

「自己変革」の1990年代を経て、東京精密は世界No.1商品を創造するさまざまな取り組みが実を結んでいく。2001年には企業理念をコーポレートブランド「ACCRETECH」に託し、新たな飛躍への第一歩を踏み出すこととなる。決して技術の追求を止めることはない。創造する意志を失うこともない。そのすべては、世界No.1の製品を世に送り出すために。小さな町工場からスタートした東京精密は、今や世界に名を馳せる企業となった。製品で世界を発展に導く「技術志向の会社」。その魂は、長い歴史に裏付けられたものだからこそ、崇高で、気高い。