独自の技術開発による本格的な発展期(1962~70)

1962年、社名を「(株)東京精密」に変更し、東京証券取引所市場第二部に上場しました。日本はまさに高度経済成長の時代にあり、当社も1960年には手狭になった三鷹工場を改築、1962年にはさらに増築を行い、翌1963年には八王子工場を新設して、各種自動機と半導体関連製品の生産拠点を移しました。

自動車業界の活況を受けた1969年には、増産のために土浦工場を建設するなど、1960年代の終わりまでに三つの生産拠点を構え、成長拡大を続けていきました。一方では製品を販売するだけでなく、顧客に対するアフターサービスの重要性から、それを主業務とする(株)東精エンジニアリングサービス(現(株)東精エンジニアリング)を1969年に設立しました。

より精密に、使いやすい計測機器の開発へ

高度成長の波に乗って、日本の工業界は、大量生産化、自動化、高精密化の傾向にありました。そのため、製品の性能向上を目的に機械部品や電子部品素材などの形状誤差の管理が重要視されるようになり、そのニーズに応える形で、当社はより精度の高い形状測定機器開発を進めていました。「測れないものは作れない」という基本思想が当社技術の根底を一貫して流れており、あらゆるものを「測る」ためのさまざまな技術が積み重ねられていったのです。

1962年、当社は、「表面粗さ形状測定機」を開発しました。続いて1967年には「真円度・円筒形状測定機」を開発し、幾何形状や表面粗さという複雑なパラメータを解析する製品群を送り出していきました。

表面粗さ・輪郭形状測定機「サーフコム70A」

初代の表面粗さ測定機「デルタサーフコム」は、当社が形状測定分野に進出したことを示す製品でした。測定の基準設定から当社独自の発想で開発されたこの製品は、その後は機種の多様化を図る一方、さらに別の計測技術を複合した新製品へと移行し、1977年に表面粗さと輪郭形状複合測定機の第1号機「サーフコム70A」を開発しました。

真円度・円筒形状測定機「ロンコム5A」

当社の電子計測技術を結集した優秀な「真円度測定機」が誕生するのは、1967年のことです。円筒、丸い軸、丸い穴などの真円度が品質向上に欠かすことができないものだという認識が工業界に広まり、これを受けてテーブル回転形の真円度測定機「ETR-1A」が開発されました。その後も、より高精度で温度変化に強く、長時間使用に耐えるといった性能面を強化していき、1979年には高精度円筒形状解析の決定版として当時世界最高水準の超高精度回転エアベアリングを搭載した「ロンコム5A」(テーブル回転形)を発表しています。1978年には、ロンコムシリーズの自動精度解析技術と形状精度の自動計算技術に対して、日本機械学会賞を受賞しました。

三次元座標測定機「DCM-600A」

当時海外では、複雑な形の部品や鋳物などの形状・寸法の測定のために三次元座標測定機がすでに開発されていましたが、国内ではまだどのメーカーも開発しておらず、1969年に当社が開発に成功した三次元座標測定機「DCM-600A」がわが国初の製品となりました。この製品ではミニコンピュータを本格的に採用したことにより、測定値の演算やデータ処理が迅速化され、デジタル測定を代表するマシンとなりました。

マシンコントロールゲージ「パルコムΣ」

当社の初期の代表作、電気マイクロメータを利用した円筒研削盤用自動定寸装置は、その後もさまざまな用途に応じた改良が続けられました。1971年に現在のマシンコントロールゲージ「パルコム」シリーズの原型となる指示管制部「パルコムR」を新シリーズ化、その後、精度と信頼性を向上させ、お客様からの厚い信用を得て、30年間にわたり製造が続いている「パルコムΣ」(1979年)へと進化しています。

半導体加工機の製造開発

米国においては、半導体は主に軍需・産業機器向けに開発がすすみましたが、日本では民生機器への応用を中心に開発が進められました。1960年にカラーテレビが発売され、1964年に電卓(電子式卓上計算機)が発表されるなど、新しい電子機器が次々に開発され、それと同時に半導体も軽量化、小型化、高品質化といった新たな需要が生まれました。

1962年には、日本電気(株)からの注文により、日本では初めてのスライシングマシンを開発、半導体の加工機の開発・製造を始めました。

内周刃式スライシングマシン「S-LM-IV75A」

当時、半導体ウェーハは材料であるゲルマニウムの直径1~1.5インチのインゴットを0.3mmくらいの厚さに切断して製造されていました。切断するための機械(スライシングマシン)は、初めは外周刃式を採用していましたが、その後、外周刃式は精度面に問題があったことから、当社はその改良を試み、 1963年には国内初の内周刃式スライシングマシンの開発に成功しました。1970年にはインゴットの置き方を横置きから縦置きに変更した内周刃式スライシングマシン「S-LM-IV75A」を開発、横型タイプを採用していたアメリカにも輸出され、後にスライシングマシンでトップメーカーに躍進する基盤を作りました。

エッジグラインディングマシン「W-GM-2000B」

続いてウェーハを分割するスクライバの開発にも着手しましたが、1966年に開発した「オートマチックウェーハスクライバ」とそれに続く「レーザースクライバ」はそれぞれに難点があり、期待されたほど売上が伸びませんでした。しかし、これらの開発の流れからその後のダイシングマシン開発の基礎ができました。1970年に発表された日本初ウェーハダイシングマシンの1号機「A-WD-75A」は、3インチウェーハ対応機であり、洗浄装置を中に備え、薄いブレード(刃)を高速回転させて水を流しながら切るという方式により、チップ分割工程の精度と能率を高めました。

ゲルマニウムウェーハからシリコンウェーハの時代への対応

1959年、米国のTexas Instruments Inc.が集積回路の発明といわれる特許(キルビー特許)を出願しました。その後、シリコン・プレーナIC技術が半導体集積回路の主流となり、急速にその集積度が向上し、機能を飛躍的に拡大させました。

1963年に新設した八王子工場では、翌1964年から国内初のウェーハプロービングマシンが生産されました。このウェーハプロービングマシンは国内すべての半導体メーカーに納入され当社の経営を支える製品となりました。しかし当時トランジスタの材料はゲルマニウムからシリコンへと移りつつあり、当社の技術者たちは、いずれ近いうちにウェーハ状態での素子の電気特性をチェックする必要性が生ずることを予見していました。そこで当社は新たな製品の開発に取り組み、1969年には、ウェーハ状態での集積回路・トランジスタ・ダイオードなどの諸特性を多数の触針を用いて測定するプロービングマシン「A-PM- 400」シリーズというヒット製品を生み出しました。

1971年には、米国のIntel Corp.により、単一のLSIチップに計算機の機能を持たせた4ビットのマイクロプロセッサ(MPU)が開発されました。また、この時期以降、「カラーテレビ」の普及、1976年「VHS式VTR」、1978年「日本語ワープロ」、1979年ソニーの「ウォークマン」と、1970年代には画期的な電子機器の新製品が次々に登場し、半導体の需要も急速に拡大しました。

フルオートプロービングマシン「A-PM-3000A」

1979年に開発した国内初のフルオートプロービングマシン「A-PM-3000A」で、当社はその名声をさらに高めました。半導体メーカーの要望に応えて、ウェーハの装填から収納までを全自動化したこの製品では、デザインを含めた当社の総合技術が認められ、1980年に「第10回機械工業デザイン賞」で「通商産業大臣賞」を受賞しました。